幕末から明治以降、八王子を中心とした東京の多摩地区では養蚕で栄えて生糸の製造が盛んでした。生糸を輸出するため、八王子から港のある横浜までをつなぐために整備された道が「絹の道」、一部分ですが、当時の姿を残しています。歴史のロマンを感じながら歩けるルートです。
私がいつも歩くときは多摩境駅から八王子みなみ野駅までのことが多いです。でもこれだとちょっと長すぎるので「多摩ハイク」に掲載されている、多摩境駅から大塚山にある道了堂までをご紹介します。
「多摩ハイク」のルートとは少し異なりますが、以下の地図のように歩きました。多摩ハイクで通っていた多摩境駅近くの「片所谷戸」はベンチなどもあり、動植物の楽園らしく、気になります。次歩くときは立ち寄りたいです。
今回のルートはコンビニなどがほとんどないので、おやつやお昼ご飯は事前に準備しておいたほうがいいですよ。多摩境駅前にコンビニなどはあります。
今回は京王線の多摩境駅から。まずは小山内裏公園を目指します。
公園に入ったら、尾根緑道を西に向かって歩き鑓水(やりみず)方面に。尾根緑道はかつて戦車道路と言われ、元々は第二次世界大戦で陸軍が戦車をテストするために作られた道路だったそうです。
今回は西の方にある、鑓水小山口に向かいます。
小山内裏公園では予約をすればバーベキューもできるみたいです。舗装路歩きですが時折丹沢方面の展望も。
ウッドチップの敷かれた道は足に優しいです。
公園を出たらしばらく歩行者専用道を行きます。道の上にも「絹の道」のタイルが。
歩行者専用道は安心して歩けます。
しばらく歩くと左手に茅葺き屋根の住居が見えます。この小泉家住宅は明治時代の再建ですが、母屋だけではなく土蔵、納屋、堆肥小屋などを含めて東京都の文化財に指定されています。
八王子でも江戸時代より栄えていたのは宿場町のあった甲州街道沿いですが、この鑓水地区はそこからかなり離れています。横浜開港以降の生糸輸出量が増えるに従い、八王子だけでなく群馬や長野などからの生糸を横浜へ運ぶための中継基地であったこの地が栄え、「鑓水商人」が生まれたそうです。
もっとも賑わっていたときは洋館などもあったそうですが、今ではのどかな里山の景観が広がる鑓水地区。栄えていた当時に近い景色を見ることができる貴重な文化財が小泉家住宅なのかな、と思うと感慨深いです。ただ、今でも住居としてお使いのため、中を見ることはできません。外からそっとみてくださいね。
さらに進むと嫁入橋。(リンク先はpdfです)
渡ったら左に。しばらく川沿いに進みます。すると「八王子道」の古い道標が。
説明のところを拡大してみました。もともとここにあったわけではなく、移築されたようです。
御殿橋に着いたら右に曲がります。車はそれなりに通るのですが、歩道があるわけではないのでちょっと注意して歩きます。
少し進むと風情のある門が。鑓水商人である八木下要右衛門(やぎしたようえもん)の屋敷跡に建てられた絹の道資料館です
絹の道資料館は入館無料。トイレがお借りできます。ここで絹の道に関する展示を見たり休憩したり。ベンチやテーブルもあるので、おやつや昼食にしてもいいと思いますが、団体さんがきているときはちょっと難しいかも。
このエリアも日本遺産なんですね。
さらに進むと分岐が。道標に従い右に進みます。いよいよ絹の道。
八王子市の史跡ですよ。
雰囲気のある道。にぎわっていた頃は雰囲気も違ったのかもしれません。絹の道が生糸輸送で使われていたのは実はさほど長くなかったそう。明治41年に鉄道(今の横浜線)ができてからは、生糸の輸送は主に鉄道になったそうです。
この階段を登ると
文化財の道了堂跡です。鑓水商人が浅草花川戸(はなかわど)から道了尊を勧請して建立されたそうですが、今は建物は残っていません。
先ほどの階段を登らずに左に行けば
展望の開けたところに出ます。ここから片倉駅や八王子みなみ野駅まで歩いて行けますが、少し遠いです。ガッツがあれば、ぜひ。
もう疲れたな、と思ったときは、道了堂跡近くの2つのバス停から駅まで行けます。
北野台三丁目のバス停から京王線の北野駅に行けますが、本数は1時間に1本程度。
ちょっと先の坂上バス停からなら20分に1本に増えますよ。
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